ネットカフェにも泊まれなくなるのか

東京都は3月末に、「インターネット端末利用営業の規則に関する条例」を可決、7月1日から施行予定だ。
これにより、営業者は利用客の本人確認と、利用状況などの保存が義務付けられた。
なぜなら、近年インターネット利用による犯罪が急増し、中でもネットカフェのパソコンを使っての犯罪は匿名性があり、検挙しにくいため、警察もデータが必要であるからだ。
確かにそれで検挙率は上がるのかもしれないが、視点を変えて考えてみると、住居が無く、ネットカフェに寝泊りする人はどうなるのか。
そのような人は、社員証はおろか、健康保険証すら持っていない場合がある。
そうしたら、ネットカフェを利用できなくなり、寝泊りする場所が奪われてしまう。
僕もよく電車で寝過ごし、見知らぬ駅で駅員に起こされ、既に終電がない状況になり、ネットカフェに泊まる事があるが、その時に明らかに終電を逃した人ではない人が大勢ネットカフェに入るのを見る。
検挙率を上げるのは勿論重要だが、ネットカフェを寝泊りの場として利用する人もかなりいるので、その人達の為にも早急に対策を練らなければならないだろう。

24人のビリー・ミリガン〈上〉 (ダニエル・キイス文庫)

24人のビリー・ミリガン〈上〉 (ダニエル・キイス文庫)

24人のビリー・ミリガン〈下〉 (ダニエル・キイス文庫)

24人のビリー・ミリガン〈下〉 (ダニエル・キイス文庫)

以前、読んだことのある本だが、最近また読み返した。
本書は、1977年、オハイオ州で連続レイプ事件が起こり、その犯人として、22歳の青年が逮捕されたのだが、その青年の記録を元にしたノンフィクションである。
そして取り調べを行うのだが、彼には犯行の記憶がなく、取調べを行うにつれ、少年時代、彼に起きた事件により、彼の中に別人格が目覚め、犯罪は他人格のしわざだったという事がわかった。
人格を形成するのに重要な初年時代にある事件を受けた彼なのだが、それは現代でも根強く問題として残っているので、教職やカウンセラーの仕事に就きたいと考えている人には是非読んで頂きたい。

皮肉なビジネス

最近親しい友人の一人が、アルバイトで貯めたお金で英会話教室に通い始めた。
目的は英会話のスキルを身につける事だ。
まず、英会話教室に通って、英語を流暢に話せる人を見たことがないので、やめた方がいいと伝えた。
英語をある程度使える人ならわかるだろうが、週1回や2回のレッスンで、できるようになるわけがない。
レッスン以外にも家でしっかりと毎日勉強するのであれば話は別になるが。
はっきり言って、英会話教室に通うことはお金の無駄遣いの他ならない。
そんなお金と時間があるのなら、アメリカに直接行ってきた方がいい。
だが、やはり友人の決意は固く、せっかく貯めたお金で今英会話教室にお金を流している。
そう考えてみると、皮肉にも英語やダイエットなど、需要はあるが、人がなかなか目標に到達できないような事につけこんだビジネスが、相当な利益を上げる事ができるのだな、と思う今日この頃である。


ロンドン・コーリング

ロンドン・コーリング

自分の好きなアルバムの一つ。英語を使えるようになる為に重要なのは、そうなりたいと思う動機である。
音楽もその一つのきっかけであると思う。

アメリカのことだけを気にする日本人

ワシントンで開催され、世界47カ国の首脳らが参加した核セキュリティーサミットにおいて、オバマ大統領はアルメニアの首脳とも会談しているのだが、同盟国の日本と普天間基地以外にも問題は山ほどあるのに、会談が10分程度だったことに対し、マスコミなどが異常であると騒いでいる。
確かに普天間基地の問題に関しては日米間の温度差が激しい。
さらに、ころころと首相が変わる日本に対して、アメリカ人の反応も良くないと現地の知人から聞いている。
だが、よく今回のサミットのニュースをみてみると、アメリカはドイツ、フランス、ロシア、イギリスとも2カ国間の会合はしていない。
しかし、それぞれの国では会合がなかったことに関して、あまり問題視をしていない。
戦後からアメリカに習って(勿論違う点もある)経済成長してきた日本であるが、未だにアメリカを過剰に意識し、後ろから追っているのだが、本当に情けない。

チーム・オバマ 勝利の戦略

チーム・オバマ 勝利の戦略

本書は、当時無名候補者だったオバマ氏が、どのようにしてネットというツールを利用し、大統領の座についたのかを明らかにしている。
実際に読んでみて、当時普及したてのテレビを上手く利用した第35代アメリカ大統領のケネディ氏といい、ネット利用で大統領の座についた第44代アメリカ大統領のオバマ氏といい、世界中を沸かす大統領はその時代に合ったツールの使い方が上手いのだなと関心してしまった。

脱和訳の英語学習方

新年度がはじまる時に、大学でガイダンスがあった。
そこで学科長が、自分の専門科目は勿論、なるべく英語学習に力を入れろと言っていた。
大学にいる人は少なくとも6年間は英語を勉強しているのに、こんな事を大学の教授に言われてしまうのだから、やはり日本の英語教育の方法が間違っているとしかいいようがない。
思い出してみると、僕たちの英語学習の大半は文法、単語を覚え、そして和訳をするという勉強方法、試験が主だった。
その教育の結果、今の大学生は英語が使えない状態にあるのだ。
確かに文法や単語を覚える事は英語力をつける上で重要だ。
だが、和訳は必要か考えてみると、実際は必要であるどころか、マイナスの影響しか及ぼしていない。
なぜなら、和訳をすることで、英語から日本語と言う一方的なベクトルでしか英語を考えられなくなってしまう。
つまり、英語のアウトプットができず、結局英語が使えないということになる。
また、英語で会話するときに相手の言っている事を一々日本語で考えていたら、返事をするのに時間がかかって仕方が無い。
これを解決するためには、徹底的にボキャブラリーを増やす他に、例えば、テストで英文を読ませ、従来なら和訳させていた部分を、その人の英語で要約させればいい。
後は英作文などを書く機会を増やすことだ。
とにかく、これからのグローバル社会で活躍できるような人材を育てるのであれば、学校での英語学習の方法は抜本的に変える必要がある。

DUO 3.0

DUO 3.0

よく、英語の勉強で使っている本は何かと聞かれるが、この本を一番使っている。
単語帳なのだが、記載されている例文がとても短いため、英語を英語で考える習慣付けのできる本である。

格差が拡大することで格差が縮小する

今、先進国では所得格差が拡大している傾向がある。
コンピューターが普及し、知的労働の効率があがり、単純労働はオートメーション化、又は新興国の労働者に安い賃金で任せてしまうのが格差拡大の主な原因だろう。
日本でもそれは例外ではなく、これから更に格差は拡大するはずだ。
だが、世界規模で考えると、先進国の国内で格差が広がれば、先進国と途上国の格差が小さくなると考えられる。
確かに慈善活動も途上国の為になるのかもしれないが、本当に先進、途上国間の格差を埋めるのであれば、途上国を世界の自由市場経済圏に組み込む以外ない。
なぜなら、途上国は多国籍企業から単純作業を安い賃金で引き受けることにより、世界の企業を誘致し、少しずつ外貨を獲得、社会資本を蓄積していけるからだ。
中国は安い労働力を武器に、世界の工場としての役割を担い、ものすごいスピードで豊かになった。
国が豊かになれば必然的に賃金が上がるので、多国籍企業はさらに人件費を削減するために、貧しい国を探し、進出していく。
このことを繰り返していけば、中国のように豊かになる事ができる。
私たち日本人は生まれる家は選択できないが、大抵の人は自分の進む道は自分で選択できる自由があり、義務教育も受ける事ができる。
資本主義と言う営利活動の自由の下で格差が広がったわけだから、日本人として選択できる自由を持った以上、収入などの格差が生じるのは当然と言えば当然である。
ですから、格差を嘆くよりも、選択できる自由のある国に生まれた事に感謝し、自国の格差だけではなく、生活保護もない途上国との格差を埋めていく事も重要なのではないだろうか。

頭がいい人の「自分を高く売る」技術 (角川Oneテーマ21)

頭がいい人の「自分を高く売る」技術 (角川Oneテーマ21)

本書には個人的に反対の意見もあり、くだらないことを考えているな、と思う部分もあるが、新社会人になった人、又は環境が変わる人は参考にできる意見もあるので、読んでみるといいかもしれない。

自分で考える事が少なくなった時代

最近Twitterで、携帯電話のサイトを通じて子供が犯罪に巻き込まれるケースが増えているため、警視庁は入学式のシーズンに合わせて都内の高校で保護者を対象に説明会を開き、子供の携帯電話に有害サイトへの接続を制限するフィルタリングの機能をつけるよう呼びかけた、と言うものを読んだ。
警察や保護者が高校生に対して、ここまでするのは過保護としか言いようがない。
確かに有害サイトによって犯罪に巻き込まれているケースもあり、巻き込まれてからでは遅いのかもしれないが、情報がもの凄いスピードで行きかう今日において、自分で情報の取捨選択を判断する能力は、生きる上で最も必要な能力の一つであり、その能力を高めるための高校生活なのではないだろか。
順番を考えれば殆どの場合、先に死ぬのは親なのだから、親や教師がいつかは一人立ちをしなくてはならない子供の為にすべき事は、良いことや行為を教え導く事ではなく、自分で考える習慣を身につけさせ、自分で決断させて行動できるように仕向ける事である。
果たしてこのまま何でも害のあるものは排除し、考える機会が減ってしまった子供が大きくなったとき、どうなってしまうのだろうか。


やさしいベーシック・インカム

やさしいベーシック・インカム

以前、ベーシックインカムについての記事を書いたのだが、もっと詳しく知りたいという方に、分かりやすく解説してある本である。
http://d.hatena.ne.jp/k1e2n4/20100329/1269833900

面倒な事を面倒だと言いながら率先して行う人達

今日書く記事に関しては僕の意見に反論する方が大多数だろうが、決してその方々に喧嘩を売っているわけではないので、広い心で読んで頂きたい。
僕には4つ歳上の姉がいるのだが、その姉が先日病院での研修を終えた。
昨日、その姉は珍しく真剣な顔で、お世話になった病院に手紙を書いていた。
それも書き間違いをしては「面倒だ」と叫びながら...
そんなに書くの面倒ならメールでいいじゃないと姉に助言(?)したら、メールじゃ失礼だし、手書きの方が気持ちが伝わるのよ的な事を言われてしまった。このような意見を僕に力説する人は姉以外にも結構いたりする。
だが、正直アホくさいと思う。文章なんてメールで打ったほうが間違いなく楽だし、よっぽど字の綺麗な方ではなければ読み手も読みやすい。
最近飛行機などの搭乗では従来の紙のチケットではなく、eチケットが普及している。
飛行機の利用者は搭乗の予約、支払いをした時点で「チケットを持つ権利」ではなく「飛行機に搭乗する権利」を持つわけなのだから、ブロードバンドが発達している現代では、紙のチケットなど必要なく、搭乗できる権利を証明できるものであれば形は何でもいいわけだ。
それと同様に手紙も結局自分の気持ちを伝える為のツールであり、気持ちさえ伝われば形は何でもいい。
僕の場合、いくら綺麗に書いてある手紙でも内容が伴わなければ気持ちは伝わらないし、逆にメールでも内容が良いものであれば感動する。
しかも手紙だと自分の意思に関係なくポストに入ってきて一々うざったいが、メールなら受信したくないものはフィルタにかけられる。
昔から続いているものを良しと考える日本人特有の文化には僕の考えは邪道なんだろうが、手紙じゃなきゃ失礼だとか気持ちが伝わらないと言って面倒な事を率先してやる人の気持ちが僕には到底理解できない。
時間と手間をかけたほうが良い成績を残すのは単純作業であって、内容が必要な文章は時間の量ではなく質であるはずだから、書くという作業に時間を浪費するくらいなら、考える事に時間に費やした方がいいのではないだろうか。


国家の品格 (新潮新書)

国家の品格 (新潮新書)

日本ではこの本がきっかけで「品格」と言う言葉が流行った。
著者は数学者なのだが、日本に必要なのは経済発展の追及より、武士道精神を持つ事などの大切さについて述べている。
この本で著者の言う事は僕の周りにいる人であれば、小学校の先生や、先生になろうとしてる人に同じ意見の方が多く、そのような方々は著者の定義上、「品格のある人間」だ。
だが、僕は著者の大部分の意見には反対なので「品格のない人間」に属する事になる。
一度は読んでみるのもいいかもしれないが、品格のない人間としては、こんな本がベストセラーになるなんて、これから日本はどうなっていくのかが心配で仕方ない。