面倒な事を面倒だと言いながら率先して行う人達

今日書く記事に関しては僕の意見に反論する方が大多数だろうが、決してその方々に喧嘩を売っているわけではないので、広い心で読んで頂きたい。
僕には4つ歳上の姉がいるのだが、その姉が先日病院での研修を終えた。
昨日、その姉は珍しく真剣な顔で、お世話になった病院に手紙を書いていた。
それも書き間違いをしては「面倒だ」と叫びながら...
そんなに書くの面倒ならメールでいいじゃないと姉に助言(?)したら、メールじゃ失礼だし、手書きの方が気持ちが伝わるのよ的な事を言われてしまった。このような意見を僕に力説する人は姉以外にも結構いたりする。
だが、正直アホくさいと思う。文章なんてメールで打ったほうが間違いなく楽だし、よっぽど字の綺麗な方ではなければ読み手も読みやすい。
最近飛行機などの搭乗では従来の紙のチケットではなく、eチケットが普及している。
飛行機の利用者は搭乗の予約、支払いをした時点で「チケットを持つ権利」ではなく「飛行機に搭乗する権利」を持つわけなのだから、ブロードバンドが発達している現代では、紙のチケットなど必要なく、搭乗できる権利を証明できるものであれば形は何でもいいわけだ。
それと同様に手紙も結局自分の気持ちを伝える為のツールであり、気持ちさえ伝われば形は何でもいい。
僕の場合、いくら綺麗に書いてある手紙でも内容が伴わなければ気持ちは伝わらないし、逆にメールでも内容が良いものであれば感動する。
しかも手紙だと自分の意思に関係なくポストに入ってきて一々うざったいが、メールなら受信したくないものはフィルタにかけられる。
昔から続いているものを良しと考える日本人特有の文化には僕の考えは邪道なんだろうが、手紙じゃなきゃ失礼だとか気持ちが伝わらないと言って面倒な事を率先してやる人の気持ちが僕には到底理解できない。
時間と手間をかけたほうが良い成績を残すのは単純作業であって、内容が必要な文章は時間の量ではなく質であるはずだから、書くという作業に時間を浪費するくらいなら、考える事に時間に費やした方がいいのではないだろうか。


国家の品格 (新潮新書)

国家の品格 (新潮新書)

日本ではこの本がきっかけで「品格」と言う言葉が流行った。
著者は数学者なのだが、日本に必要なのは経済発展の追及より、武士道精神を持つ事などの大切さについて述べている。
この本で著者の言う事は僕の周りにいる人であれば、小学校の先生や、先生になろうとしてる人に同じ意見の方が多く、そのような方々は著者の定義上、「品格のある人間」だ。
だが、僕は著者の大部分の意見には反対なので「品格のない人間」に属する事になる。
一度は読んでみるのもいいかもしれないが、品格のない人間としては、こんな本がベストセラーになるなんて、これから日本はどうなっていくのかが心配で仕方ない。